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お客様情報で、道後温泉駅の裏に、

道後温泉の分湯場(ぶんとうじょう)

があるよね、ということを聞き、

たまげましたね。

すかさず突撃レポートに行ってきました。

ここは、どうやら第4分湯場。

 

 

ここは横を通ることもあったのに、

今まで全然気付きませんでしたね。

入口には実際のお湯に手をつけれます。

 

 

建物内の資料によりますと、

「道後温泉」は平成25年までに、

第29号源泉まで掘りあて、

そのうち18本から源泉を汲み上げ、

本館・椿の湯・飛鳥乃温泉・

旅館・ホテルへ配湯しているのだそうです。

 

源泉18本のうち、ここ第4分湯場には、

6本の源泉があり、見学ができるように

なっていました。(温度は47〜52℃)

他にも分湯場が3つあり、それぞれ

お湯の温度が違うようです。

 

お湯が枯れてしまっており、他から

運んできているという噂を言う

お客様がいらっしゃいましたが、

そんなことは決してなく、

道後温泉の源泉を、無加水・無加温で、

道後温泉・旅館・ホテルなどに

配湯されているのだそうです。

 

日量:2000トンだそうです!

すごい!

こりゃ勉強になりました。

ちなみにここは、H29年11月に

改築されたんだそうです。

 

 

 

立夏の日に、雷と雨。

やはり、季節の境目は雷が鳴ります。

 

 

先日、お客さまから大洲の伝説

教えていただきました。

 

「十夜ヶ橋(とよがはし)」

四国八十八ヶ所に加えられた

別格二十霊場のうちの一つらしいですね。

 

ネット情報によりますと、弘法大師が、

衆生済度(しゅうじょうさいど)大願のため、

四国の各地を行脚していた頃のお話。

大洲に来た時、まだこの地は未開で、

人家が少なく、しかも農繁期だったので、

泊まる家がなく、空腹のまま、小川に

かかった土橋の下で一晩野宿したそうな。

 

夜が明けるのを待ちかね、

一夜が十夜のように感じたそうです。

この夜のつらさがきっかけで、

衆生済度の念願がより一層高まり、

世の悩んでいる人々が常楽の彼岸に

至るため、「信仰の橋」を渡らせる

ことを、一刻も早く実現しなければ、

と考えられたそうです。

 

お遍路さんが橋を渡る時、杖をつかない

という風習があるそうです。

 

気になること

#別格二十霊場 8番

 

昨日から寒の戻り。

「寒の戻り」は、

エピソードいくつめになるのでしょう? 

もう寒くならないと、耳にしていた

のですが、予報外れですね。

 

 

あたくしの地域では、

淡路が峠(あわじがとう)という山は、

子供の頃からおなじみの山。

校歌の歌詞にも出てきます。

 

お客様情報によりますと、1909年に、

「伊藤博文」が道後温泉に入りに来た時、

この山に登りたいと言ったのだそうです。

 

「Wiki」情報を調べてみると、400年前、

この山には「道後湯築城」の砦があった

そうで、砦の城主は「林淡路守通起」さん

だったので、淡路城といったそうな。

 

この城主の11代目の子孫が、伊藤博文

とのことで、あたくしたまげましたね。

彼が松山に来た時、この山を見上げて

来年、先祖の供養がしたい」と、

言ったそうな。 

なぜか、その時は山に登らず。

その年、ハルビンで暗殺されてしまった。

 

まだまだ、地元には知らない歴史が

たくさんあるようです。